太宰治 名言 |
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| dazai_osamu11
自分には幸福も不幸もありません。ただ、一切は過ぎて行きます。自分が今まで阿鼻叫喚で生きて来た所謂『人間』の世界に於いて、たった一つ、真理らしく思はれたのは、それだけでした。ただ、一さいは過ぎて行きます
人間は恋と革命のために生まれて来たのだ 『斜陽』
死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらつた。お年玉としてである。着物の布地は麻であつた。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であらう。夏まで生きていようと思つた
愛することは、いのちがけだよ 『雌について』
本当の気品というものは、真黒いどっしりした大きい岩に白菊一輪だ 『津軽』
騙される人よりも、騙す人のほうが、数十倍苦しいさ 『かすかな声』
わが身にうしろ暗いところが一つも無くて生きていく事は、不可能だと思いました 『ヴィヨンの妻』
人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ 『ヴィヨンの妻』
信じられない。僕の疑惑は、僕が死ぬまで持ちつづける 『新ハムレット』
好奇心を爆発させるのも冒険、また、好奇心を抑制するのも、やっぱり冒険、どちらも危険さ。人には、宿命というものがあるんだよ 『お伽草子』
あなたに助けられたから、好きというわけでも無いし、あなたが風流人だから好きというのでも無い。ただ、ふっと好きなんだ『お伽草子』
疑いながら、ためしに右へ曲るのも、信じて断乎として右へ曲るのも、その運命は同じ事です。どっちにしたって引き返すことは出来ないんだ『お伽草子』
あなたはさっきから、乙姫の居所を前方にばかり求めていらっしゃる。ここにあなたの重大なる誤謬が存在していたわけだ。なぜ、あなたは頭上を見ないのです。また、脚下を見ないのです『お伽草子』
そうして、浦島は、やがて飽きた。許される事に飽きたのかも知れない。陸上の貧しい生活が恋しくなった。お互い他人の批評を気にして、泣いたり怒ったり、ケチにこそこそ暮している陸上の人たちが、たまらなく可憐で、そうして、何だか美しいもののようにさえ思われて来た『お伽草子』
しかし、私は陸上の人間だ。どんなに安楽な暮しをしていても、自分の家が、自分の里が、自分の頭の片隅にこびりついて離れぬ『お伽草子』
他の生き物には絶対に無くて、人間にだけあるもの。それはね、ひめごと、というものよ 『斜陽』
不良とは、優しさの事ではないかしら『斜陽』
私には、是非とも、戦いとらなければならないものがあった。新しい倫理。いいえ、そう言っても偽善めく。恋。それだけだ『斜陽』
けれども私たちは、古い道徳とどこまでも争い、太陽のように生きるつもりです。どうか、あなたも、あなたの闘いをたたかい続けて下さいまし『斜陽』
じぶんで、したことは、そのように、はっきり言わなければ、かくめいも何も、おこなわれません。じぶんで、そうしても、他のおこないをしたく思って、にんげんは、こうしなければならぬ、などとおっしゃっているうちは、にんげんの底からの革命が、いつまでも、できないのです 『ロマネスク』
生活人の強さというのは、はっきりノオと言える勇気ですね 『未帰還の友に』
私には、誇るべき何もない。学問もない。才能もない。肉体よごれて、心もまずしい。けれども、苦悩だけは、その青年たちに、先生、と言われて、だまってそれを受けていいくらいの苦悩は、経て来た。たったそれだけ。藁一すじの自負である『富嶽百景』
怒涛に飛び込む思いで、愛の言葉を叫ぶところに、愛の実体があるのだ『新ハムレット』
美しさに内容なんてあってたまるものか。純粋の美しさは、いつも無意味で、無道徳だ 『女生徒』
真実は行為だ。愛情も行為だ。表現のない真実なんてありゃしない『火の鳥』
生きている事。 ああ、それは、何というやりきれない息もたえだえの大事業であろうか。『斜陽』
学問とは、虚栄の別名である。人間が人間でなくなろうとする努力である。『斜陽』より 太宰治の名言
人間は嘘をつく時には、必ず、まじめな顔をしているものである。『斜陽』より
不良でない人間があるだろうか。『斜陽』より 太宰治の名言
人間三百六十五日、何の心配も無い日が、一日、いや半日あったら、 それは仕合せな人間です。太宰治の名言
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2013年7月21日(日)18:57 | 近況1 | 管理
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