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鬱病の日々の出来事について語ります。 (Камень снегグループ)
 



生きているうちに「ごめんなさい」と言えなかった

生きているうちに「ごめんなさい」と言えなかった



『医者が教える 人が死ぬときに後悔する34のリスト』

(アスコム)

写真:Business Media 誠


人が死ぬときに後悔する34のリスト:


 死を意識する病気にかかっている患者が、大切な人に謝れなかったことを悔いる場面に接してきました。私には、そうした患者の思いが痛いほど分かります。なぜなら私も、母に「ごめんなさい」と言えなかったことを今でも後悔しているからです。

●亡くなった母が教えてくれたもの

 私はこれまで、死を意識する病気にかかっている多くの患者が、大切な人に「ごめんなさい」と言えなかったことを悔いる言葉に接してきました。

 私には、そうした患者の思いが痛いほど分かります。私自身、尊敬し、愛していた母に「ごめんなさい」と言えなかったことを今でも悔いているからです。

 私と母との永遠の別れは突然やってきました。当時私は北海道大学医学部の学生で、卒業試験と4月の医師国家試験を控えていたため、正月の帰省もそこそこに下宿に戻って勉強をしていました。母が亡くなる前日に、いつものように電話で話したことを覚えています。

 「国家試験終わったら帰るから、その前に掃除と引っ越し、よろしくね」

 前夜にそんな会話を普通に交わしたあとですから、翌日の夜中に弟からかかってきた電話の内容を、まったく受け入れることができませんでした。

 世界でいちばん大切な母の死は、私にかなりのダメージを与え「人は必ず死ぬのだ」ということをイヤというほど実感させました。

 もし、あの悲しい経験をしていなければ、真の意味で患者や家族の痛みを理解することはできなかったと思います。

 母の死という体験を通して、医者として、肉親の死に際に直面している患者の家族の気持ちに寄り添ってあげることができるようになったのです。

●母が生きているうちに謝罪できなかった

 私の母が亡くなってもう30年以上が経ちましたが、私にはいまだに母に対してあることをしてしまった後悔があります。母が亡くなったと聞いた夜、頭に浮かんだのもそのことでした。

 母が苦労をしたことは当時から分かっていたというのに、学生の頃に何かのはずみで母と口論になり、つい心にもなく母に「バカなんだから」と口走ってしまったのです。母も気の強い性格ですから、いつもなら「うるさいッ」とか負けずに言い返してくるはずなのですが、その時はなぜかシュンと小さくなって落ち込んでしまいました。そんな4、5年前の姿を、亡くなったその日の深夜に不意に思い出したのです。

 母に悪態をついたことは今でも急に思い出します。謝ることをせずに母を亡くしたことはまだ引っかかっています。

 母は53歳で生涯をまっとうしたと私は思っていますが、母にしてあげられなかった後悔は、ほかにもたくさんあります。母を海外に1度も行かせてあげられなかったこと、リウマチを治してあげられなかったこと。まだ独身でしたから、妻も、もちろん孫も見せてあげられなかったこと……。

 私は母の死に立ち会えませんでしたが、だからといってそれを後悔はしていません。

 そんなことよりも大事なのは、話ができるときに大切な人と語り合うことではないでしょうか。生きている間に語り尽くすことのほうが、死に立ち会うことよりもよっぽど大事なことだと思います。

 死に立ち会えないのが親不孝なのではありません。生きているうちに、謝るべきことを謝っておかなかったほうがずっと親不孝だと私は思います。謝りたいことがあれば、相手が生きているうちに謝るべきです。(次回は「やりたかったことができなかった」について)

[川嶋朗,Business Media 誠]


私も父親と親子の縁を切った!

正月もお盆も実家に行っていない

1年くらいになるだろうか~~

後悔するから。。。。

謝罪でもしたいが。。。。。



2013年9月14日(土)02:25 | 病気との闘い | 管理

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